牛340頭、豚280頭、ヒツジ600頭、ニワトリ6万羽、エビ・鮭・ヒラメ合計46トン、野菜356トン、鶏卵72万個、米16トン、食パン8万6千斤、牛乳50万本。
この大量の食材、いったい何に使われたのか分かるだろうか。
正解は1964年に開催された第一回東京オリンピックの時、選手食堂で開村から閉村までの期間中に消費された食材の量だ。毎日7000食もの食事が作られ、期間中でのべ60万食の食事が94カ国5,500名あまりの選手や関係者の胃袋に収まったことになる。牛乳50万本の何分の一かは、協同乳業のメイトー牛乳だった。特に鮮度が重要視されたことから、東京牛乳の故郷である多摩地域の牛乳が多く使用されたようだ。
オリンピックの納品業者決定は東京大会選手村食堂運営委員会が設けられ準備にあたったが、乳製品関係は乳業大手4社と協議し、納品メーカーは大手4社
限定、納入期間は9月15日から11月5日までとなった。
と書くとすんなりいったようだが、事前の話し合いにもかかわらず、裏で抜け駆けしようとするメーカーもあり、メイトーの担当者が必死に阻止して納入指定を受けるという一幕もあったようだ。
納品は期間別に各社で担当することになったが、メイトーは、トップバッターとして第一期の9月15日から27日までを担当し、各食堂内と選手村に開設されたミルクバーは、この間メイトー一色となり、好評だったという。
東京オリンピックは東洋初の開催、有色人種の国初の開催ということで、一人当たり1日6ドル以内(1ドル360円換算で2,160円)という予算の中で『富士(Fuji )』、『桜(Sakura)』という2つの食堂のコック306名が腕をふるっていた。特に村の生活についても組織委員会が発行した村の案内や日本選手団ハンドブックに詳細な規則が掲載されており、食事については『日本選手団の食事マナーはまず好評である。さらに注意し、さすがにホスト・カントリーの選手、役員と言われるようにされたい』とある他、牛乳について『牛乳の持ち出しは、腐りやすい点、衛生上良くないのでやめること』と記載されており、衛生面に特に注意が払われていたことが分かる。
そして、取材していて分かった東京オリンピックとの不思議な縁。東京牛乳の生産者は「東京都酪農業協同組合」だが、現在の組合長は平野正延さん。1964年の東京オリンピック当時は12歳の中学生で陸上部に入っていたスポーツ少年だった。日本全国を走った聖火は東京都に入って3コースに分かれたが、そのうちのひとつで聖火リレーの伴走を務めたというのだ。
走ったのは青梅の方からサマ-ランドの先の八王子との境までだったそうだが、沿道は日の丸を持った見物がすごくて、今でも思い出に残っているという。
思いがけず、色々な縁で結ばれていた東京オリンピックと東京牛乳。
今も昔も味と品質には定評があるという事だろう。
※地産地消=地域の消費者ニーズに即応した農業生産と、生産された農産物を地域で消費しようとする活動を通じて、農業者と消費者を結びつける取り組み。
東京牛乳は東京都酪農業協同組合と多摩地区の酪農家及び協同乳業で共同開発した産地指定牛乳です。
製造工場 協同乳業㈱東京工場(東京都西多摩郡日の出町平井20-1)
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